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終焉

コニカミノルタが家業を捨てた。
小西六写真工業。
国産初のカラーフィルム「さくら天然色フィルム」を作った。
国産初のフラッシュ内蔵型コンパクトカメラ「ピッカリコニカ」を作った。
国産初のAFコンパクトカメラ「ジャスピンコニカ」を作った。
通称・写大(現・東京工芸短大)を創設した。
日本の写真産業はコニカが担ってた。

千代田光学精工。
CLEは良いカメラだった。
宮崎美子のCM好きだった。(^^)
国産初のAF一眼レフシステム「αシリーズ」を作った。

光学・写真産業の2つの老舗が合併したコニカミノルタが下した結論は「家業を捨てる」。

良い事じゃないですか。
会社の売り上げに貢献しない、開発・製造部門は切り捨てましょう。
αシステムの特許だけ押さえておいて、ラクして儲けましょう。
流行のIT企業みたいな思考回路、カッコいいです。

自分たちが育て、育てられた産業は「儲からない」の一言で切り捨られる程、軽いモノだったんですね。
文化だ芸術だなんて言ってたは嘘だったわけで、単なる「儲け」の対象でしかなかった、と。

Comment

実は・・・

私はコニカのグループ会社に10年ほど籍を置いていたんですよ。
そこで見たものは・・・「親会社も長くはないな・・・」という歴然とした
事実だったんです。
ですから、私は新天地を求めて飛び出しました。
今から10年近く前のことでした。
ミノルタはロッコールが好きで、Xシリーズを三台所有していた
時期があります。
XGS、XD、X500(あえて700ではない)ですが、X500はチープな
作りで、あまり使って楽しいカメラではありませんでした。
αシリーズは一世風靡はしたものの、その後のレンズ開発や
ユーザーインターフェースに洗練さがありませんでした。
α-7を出した時に、デジタル化はいつだろうかと思いました。
でも、出たときには既に遅かった・・・
ユーザーの心は離れていたんですね。
いずれにしても、いいモノを作れば売れるといった幻想から発展
させることが出来なかった企業同士が合併しても先が知れてます。
業界再編とは言いながらも、内容的にはもはや淘汰ですね。
何もこれは写真業界だけではないようですが・・・

悲しい

S2Proの画をコニカで出す変わり者です。(^o^;>私
フジに出すと、素人ウケする高コントラストの仕上がりになっちゃうので。
コニカを愛していただけに悲しい結末です。
山梨コニカのラボが無くなって3年ほどになります。
47都道府県にあった事業所を統合(整理)したからです。
この時点でヤバイ方向に進んでましたね。
スタジオの片隅で、Z-1と共にα-9000が埃をかぶってます。
ハッセルもマミヤも...。(^^;
ウチの銀塩ボディもリストラが近いな。

サクラカラー

当時、20枚撮りだったカラーフィルムを24枚にしたサクラカラー。
萩本欽一が「どっちが得か、よ~く考えてみよう」と言ったサクラカラー。
山口百恵=「フジカラーで写そう」しか知らなかったおいらにも買えたサクラカラー。
小西六?なんだ、それ?と思わせたサクラカラー。
おいらにとってはKonicaじゃなくてサクラカラーなんだよね。だから、Konicaカラーって違和感あったな。

桃色

小西六と言えば桃色のパッケージ。
イメージカラーを青色に変えたのも失敗だったかな。

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